かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

「電車で化粧」とイライラの原因

朝、電車で隣に座った女性が化粧をしていた。
それ自体は、今となっては珍しい光景ではない。

しかし、その人は化粧に20分かけ、ボトルタイプのコーヒーを飲み、お菓子までを食べていた。
そこまでする人はなかなかいない。

 

さて、その人を観察しながら、この人はなぜ「電車で化粧」+αをするのか、分析してみたので記録しておきたい。

 

「電車で化粧」をする人に対して、世間一般でよく言われるのはこうだ。

・マナーが悪い
・みっともない
・だらしがない

私も反射的にそう思ってしまうし、同意する人も少なくないだろう。
そう、彼女らは基本的に批判の対象となる

 

果たしてなぜだろう?
なぜ、彼女らを見るとイライラしてしまうのだろう。

その答えを探るひとつのとっかかりとして、彼女らが意識する「範囲」が挙げられると、ぼくは思う。

 

偏見かもしれないが、えてして女性は、「内」の人である友達だったり、家族であったりには、ものすごく丁寧だしやさしい

友達の誕生日には贈り物をしたり、こまめに連絡したり。
それは傍から見ていてスゴイなと素直に尊敬できる。

ぼくにはとてもできないから。

でもその一方で、「外」、つまり自分と利害関係のない人には冷たい印象がある
冷たいどころか、「透明人間」として認識されていて、見えていないようにすら感じる。

仮にこの傾向が正しいとして、今朝電車で化粧をしていた彼女もそうだと考えてみる。
すると、彼女にとって我々は透明人間だ。見えていない=存在していないことになる

そう考えると、彼女にとっては「電車内」も「自分の部屋」も同じなのかもしれない。

 

本題に戻る。

ではなぜ、彼女らを見ると、周囲の人はイライラするのだろうか。

その答えも、上の仮説の中に含まれている、と思う。

つまり我々は、彼女から「透明人間」にさせられているから、ではないか。

もっと直接的に言えば、彼女から「無視」されているから、ではないだろうか。

 

人が人に対して怒るのは、危害を加えられた場合、とかはあるけれど、
一番イヤなのは「無視」されること、軽んじられることなのかもしれない。

 

それは「いじめ」にも見て取れる。

小中学生時代、ぼくの周囲にも「いじめ」はあった。

いじめの現場では、見た目がちょっと変だ、とか性格が変だ、とか、そんな「からかい」からはじまるが、そのうちそれは「無視」になっていく。

それは、無視こそが一番相手にとってキツいことだからではないか。

 

「電車で化粧」する人を見てイライラするのは、本質的には、「無視」され、軽んじられていることに対する反発なのではないか。

これがぼくの、(いったんの)仮説である。

たぶん、それに対する怒りを、もっともらしく言うために、マナーが悪い、とか、だらしがない、とかいう言葉になるのだと思う。