言葉ってムズカシイ 相反するものが同居する
さっきトイレに行ったときにふと、ぼくは間違っていない、と思った。
すると、すぐさまそれを否定し、「じゃああなたは、間違ったことをしたことがないのですか?」と語り掛けるもう一人の自分が出てくる。
人間は間違えるものでしょ?と。
それはそうだ。
まったくその通りだ。
ぼくが間違っている、ということも大いにあるだろう。
例えば個々の仕事を見ていったとき、売上が立っていないものもあれば、人を怒らせてしまったものもある。
それは、間違った、と言えなくもない。
でも、その仕事をしている最中は、間違っていない、と思って進めていたはずだ。
また、その仕事でその分野にすごく詳しくなったとする。
それなら、その仕事をやったことが、間違っていない、と言えるかもしれない。
言葉というものは曖昧なものだ。
相反するものが平気で同居できる。
話している人の立場、話の対象が過去か未来か、何を基準に話しているか。
そういうものによって、たとえ言葉は同じでも、受け手にとっての意味はコロコロ変化していく。
揚げ足を取る人がいる。
「前はこう言っていたのに、今は違うことを言うんですね」とか、「さきほどの話と矛盾していますよ」とか。
でも、そういう人は、表面的言葉からは見えない意味の違いだったり、状況の違いだったりを勘定に入れていない。
言葉は額面通りに受け取ってはいけない。
また、額面通りに受け取ることはそもそもできない。
そこには必ずすれ違いが発生するから。
でも。
そういうもんでしょう、と、思う。