かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

芸術ってなんだろう 人のつながりを生み出す技術

「芸術」はArtの訳とされる。Artとは「技術」のこと。例えば「リベラルアーツ」の直訳は「自由のための技術」で、転じて「教養」の意味が当てられている。

「芸術家」という言葉はどうだろう。芸術は技術のことであるので「技術屋」と言い換えることができる。とすると、「芸術家」は「何らかの技術」が人並外れて(相対的に)高い人と言える。

では、「何らかの技術」が高ければ、その人は「芸術家」になりうるのか。なんとなく違うかな、と思うことだろう。子供があやす技術がすごく高い人がいたとして、その行為は芸術的ではあれ、芸術家というのははばかられる。

絵を描く技術とか、文章を書く技術だとか、木を削る技術だとか。芸術家という言葉から生まれるイメージはそんなやつだ。つまり、「もの作り」を対象としている

そう考えてみると、芸術家とは「何らかのものを作る技術が、相対的に高い人」であると言える。

では、「何らかのもの」とは何を目的としているのだろうか。

 

ここでちょっと話がずれるが、必要なので続けさせていただく。

現代人は基本的に、ホモ・サピエンスを祖先としている(人によって多少、ネアンデルタール人の血も入っているようだが)。

ホモ・サピエンスは、実は個体としては弱い。

反対にネアンデルタール人は個体として強く、1対1であればネアンデルタール人には勝てなかったらしい。NHKスペシャルによると。

ではなぜネアンデルタール人が絶滅し、ホモ・サピエンスが生き残ったのかというと、言うまでもなく「集団行動が得意であったから」である。どんなにネアンデルタール人が強くても、1対10で対決すれば敵うわけがない。

「人は一人では生きていけない」

これはホモ・サピエンスの持つ特徴が、現代まで引き継がれていることを意味する。

 

さて、「人は一人では生きていけない」のである。とすると人はどうするか。「人とのつながり」を大切にするようになる。

では、人とのつながりはどうやって実現するのか。2人だけなら抱きしめれば伝わる。でも10人くらいになったら?もっと多くなったら?何らかの媒体が必要になってくる。

その媒体として機能していた好例が、最古の芸術と言われる洞窟壁画ではないだろうか。

洞窟に描かれた牛は、飼っていたのか狩っていたのか知らないが、彼らの日常に存在するものだったに違いない。それを絵という形にすることで、「我々は文化を共有している」=「つながっている」と認識することができたのではないか。

いうなれば、彼らコミュニティにおいて「人とのつながり」を実現するものためのものとして、洞窟壁画=芸術があった。


(書くのに疲れたので)いったんまとめる。

・芸術とは、特定のコミュニティにおいて、高い技術で制作された、みんなが「つながっている」と認識し合うための物である。