かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

オンラインサロンって、コスプレなのかもしれない

電ファミニコゲーマー(以下、電ファミ)の運営体制が大きく変わり、オンラインサロンのシステムを取り入れて再始動しはじめた。

電ファミニコゲーマー:事業移管のお知らせ

世界征服大作戦(電ファミのオンラインサロン)


ただし、Webメディアの価値を「みんなに届くこと」に置いているようで、記事は従来通り無料のようだ。オンラインサロンは「応援してくれる人たち(パトロン)」による投げ銭、という位置づけだろう。

ちなみに、パトロンには特定のコンテンツ提供もあるが、これはDiscordというゲーム向けチャットツールを介して行われるらしい。

このDiscord内のコミュニティを覗くこともできれ、少し見てみた。

そこで感じたのは、「オンラインサロンは、コスプレ=変身という文脈でも捉えられるのでは?」ということだ。

 

少し前に、「「自分を見失う」とは何か その3 自我の受け皿としてのオンラインサロン」という記事で以下のことを書いた。

・コミュニティは旧来、アイデンティティを保証してくれるものだった(自我の受け皿)
・しかし、既存のコミュニティは劣化し、その役目を果たせなかった
アイデンティティを失い、揺れ動く個人たちは、新たな「自我の受け皿」としてオンラインサロンへ向かっている

 

今回、「コスプレ」という観点を得て、これに以下のように捉え直すことができる。

・コミュニティは旧来、アイデンティティを保証してくれるものだった(自我の受け皿)
・しかし、既存のコミュニティは劣化し、個人は中途半端で、息苦しいアイデンティティしか得られなくなった
個人は新たなアイデンティティを得るために、コスプレ=変身できる場所としてオンラインサロンへ向かっている

 

f:id:kiyobinbanzai:20190822183352p:plain

 

普通、コミュニティというものが長く続くと、成功体験を追って自然と内向的になっていく。内向的になるということは、タコ壺化し、排他的になることも意味する。

排他的な組織では「横断的なつながり」は認められ得ないわけで、そのコミュニティにいると硬直したアイデンティティしか得られず、どんどん息苦しくなる。しかもそのアイデンティティは、劣化したコミュニティに依存しているので中途半端なものである。

だからこそ、「別の自分」に変身できるコスプレがこれだけ盛り上がっているわけだ。
オンラインサロンも、「別の自分」になれるという意味でこの共通した流れの上にある


一応、コスプレとオンラインサロンの違いも見ておけば、
コスプレが(語弊を恐れずに言えば)社会的な弱者による虚無志向の祭りなのに対し、
オンラインサロンはもう少し一般的な労働者階級による生産志向の祭りだということ。

そう、客観的には捉えられるけれども、そんな認識は個人にとってはどうでもよくて、面白いか面白くないかで判断していきたい。