かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

「想像力が足りない」と言う人には気を付けろ

「バカッター」という言葉がある。これは、受水槽で泳いだ人が炎上したように、Twitterが「バカ発見器」として機能していることを揶揄する言い方のことだ。

このとき、必ず「想像力が足りない」と批判する野次馬が出現する。

ぼくは彼らを見るとモヤッとした気持ちになる。
そう思うのはぼくだけだろうか?

確かに想像力が足りないからバカなことをしたり炎上したりするわけだけれど、いまいちピンと来ない。その理由を考えてみた。

 

「想像力が足りない」という言葉にはいろんな意味がある

その一つは、「想像力が足りない」という言葉にはさまざまな意味があるということだ。パッと思いつくだけでも、3つの意味がある。

 

・行為によって起こる、未来や過去への想像の不足
・人がどう思うかの想像への不足
・想像するための、根本的な勉強の不足

 

これだけ意味があれば、パッとTwitterを見ても相手がどんな意味合いで使っているかすぐにはわからない。だからこそ、「想像力が足りない」というツイートは誰にも伝わらないし、ピンとこないものになる。

ちなみに、もしこれがTwitterではなく対面での会話なら、「想像力が足りない」という言葉でも伝わることが多い。なぜならその人との関係性や、前後の会話の文脈でどんな意味で使われているのかが想像できるものだからだ。

しかしTwitterは、言葉の断片であって、文脈作りに弱いメディアだ。単純に情報量が少ないと言ってもいい。そんなTwitterでは、本当に相手に伝えたければ、いろんな意味を持つ言葉は使うべきではない、と思う。

 


「自分はちゃんとしている」ということを暗に言いたいだけ

にも関わらず、「想像力が足りない」という言葉が多くみられるのはなぜだろうか。
それはそもそも、「人に伝えるための言葉」ではなく「自分に対する言葉」だからではないだろうか。

「人に伝えるための言葉」であれば、相手に伝わるであろう言葉をチョイスするものである。

一方、「自分に対する言葉」であれば言葉を選択する必要性は薄い。自分だけが分かっていればよいからだ。

人が人を攻撃するという行為は、相手を貶めることで、相対的に自分の地位を上げる行為である。

つまり、「想像力が足りない」と言う人たちは、「バカは想像力が足りないけれど、自分は想像力のあるちゃんとした人間だ」ということを暗に言いたいだけなのではないか。


まとめる。

●「想像力が足りない」と言う人にモヤッとする理由
・「想像力が足りない」という言葉自体がいろんな意味を持ち、どれを指しているのかわからないから

・そもそも相手への批判ですらなく、「自分はちゃんとしている」ということを言いたいだけだから