「そこそこ満足」から「熱狂」へ
村上春樹が「70歳」になるらしい。
ずっと売れている人のイメージだったから、年齢のことなんて考えたことがなかった。でももう70歳なんだな、と。
そんな70歳の書いたものが、ずっと売れ続ける日本という国は、何なんだろう。
村上春樹から日本という国が見えるかもしれない。
結論から言えば、「時代のせい」ということになるんだと思う。
日本は成熟しきってしまい、ゆるやかな下り坂にある。
そこにあるのは「そこそこ満足」と、それによる「保守化」だ。
保守化した日本では同じことが繰り返される。前例が踏襲されるようになる。
村上春樹が売れるのは、旧来の読者が昔と同じように買い続けているだけの話なのだ。
ぼくたちは、そんな時代を生きている。
資本主義のこの世界で、ぼくたちは資本主義を成り立たせるための機能として、ブタに成り下がっている。大きくなりすぎた「組織=コミュニティ」に支配されている。
それも「時代のせい」だけれど、個人にとっては「ただの機能に成り下がる」なんて状況は、精神的にキツいだけだ。だからこそ、自分たちの価値を組織から取り戻そうとする動きが最近は目立つようになってきた。
そのキーワードが「熱狂」や「熱量」だ。
目の前の「面白いこと」に熱狂することで、組織至上主義から、自分の目をそむけることができる。
今はまだ、経済活動の主流にはなりえていないが、熱狂から生み出されるものは必ず新しいものだ。
どこかで見たものの再生産。前例踏襲に飽き飽きしている世界が、新しいものを望まないわけがない。その萌芽が熱狂にある。