仕事は「区切る」からダメになる?
夏休みの宿題は最後の日にまとめてやる。
仕事の納期も、締め切り間近になってようやくやる。
それは、人間のひとつのあるべき姿だと思う。
一方で、管理職というか、合理的に、効率的に進めたい人にとっては、それでは困る、という話になる。
実際、前もってやる人も少ないけれどいるわけだから。
最近ふと思ったのは、「区切る」ということに関係しているのかな、ということ。
つまり、夏休みの宿題も、仕事の納期も、「区切る」からダメになるんじゃないか、と。
「区切る」ことによって人が動き出すのは、「そろそろヤバイ。間に合わない」という危機感を喚起するからだろう。
管理職の役割として、細かく期限を区切ってマイルストーンを作ることが言われているが、この意味で、これは一つの正しい方策だろうと思う。
では、区切らないとどうなるか、というと、その人のモチベーションに左右されるようになる。
その宿題なり仕事なりが楽しければやるし、楽しくなければやらない。
そんな風になるんじゃないかと思う。
その宿題なり仕事の影響範囲が小さければ、それでも回ると思う。
けれど、今は後期資本主義であって、影響範囲が大規模であることが多い。
資本主義の世の中では、個人のモチベーションに頼ることは非常に非効率的だ。
だから、「区切る」ことで人を動かすしくみが徴用されているように思う。
でも、ホントは「モチベーション」で動いてもらった方が、成果もよいものになるだろうし、その人の精神衛生にもよかろう。
だから、モチベーションを上げて、「自走」してもらう環境を作ること。
これが管理職的なものの役割として、ますます重要になってくるのではないか。
「区切る」ことで人を動かすか、「モチベーション」で人を動かすか。
前者が社会にとって必要なものであるとすれば、後者は個人にとって必要なもの。
人は一人では生きていけないので前者がなくなることはないけれど、
これからは後者が大事になっていく。
そんな気がしている。
【蛇足】
「区切る」という概念は時間に対しても、空間に対しても、仕事の役割に対しても当てはめられると思う。
区切れば区切るほど、社会にとって好都合になる(合理的になり、管理しやすくなるから)。
けれど、それは特に、社会が安定している段階に有効な方法である。
今のような衰弱期には、それが枷となって、あらゆる社会病を作り出している、と思う。