下り坂の社会を肯定するための「大義名分」
「持続可能性」「サスティナブル」という言葉が流行っている。
地球温暖化や、プラスチックといった環境問題。
それを何とかしましょう、うちの会社は何とかしようとしています、という意思表示として、この言葉は使われる。
これに関して、ちょっと思いつきがあった。
これらの言葉は、下り坂を肯定するための「大義名分」なんじゃないか、と。
先進国の社会はすべからく下り坂に入っている。
高齢化の問題を抱え、GDPの伸びもイマイチである。
それが現実である。
でも一方で、その現実を見つめるのは非常につらいことでもある。
そこで、どこからともなく出てきたのが、「持続可能性」「サスティナブル」という「大義名分」だったんじゃなかろうか。
・われわれは縮小均衡の道を行く。けれどそれは単なる下り坂ではなく、環境問題に真摯に取り組む姿勢である。
そういう意味での大義名分。
つまり、下り坂を見つめるつらさを、緩和するための言葉とも取れる。
ぼくが就職活動をしていたとき、「アットホームな職場です」「やりがいのある仕事」と書いてあるのはブラック企業だ、とネタにされていた。
それは、「お金が儲かる」とかいう保証はできないから、別の価値基準を持ってきたということである。
「持続可能性」「サスティナブル」という言葉も、使われ方はそう違わない。
直視しないための、言葉のマジック。
良い悪いは別として、結構いろんな場面で使われているな、と思った次第。