かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

「モノ消費からコト消費へ」って本当か? 新人さんを観察して思うこと

今、日本では消費が落ち込んでいる。

それに対して「モノ消費からコト消費へ移った」とか言われたりする。

でも、これって本当だろうか?

ぼくの周囲の新人さんたちは、やたら参考書を買い込む

ぼくは社会人10年目くらいだけど、
1年目、2年目の新人さんに、参考書の量ではすでに追い抜かれそうである。

まあ、彼らが買うのは「会社のお金で」だけどね。

それが影響している可能性もあるので、
まずは「人のお金」と「モノ消費」の関係から考えてみたい。

 

「自分のお金」で買うか、「人のお金」で買うか。
これは、お金が有限か無限か、という話になると思う。

自分のお金なら、いくら持っているかわかるので、有限と感じるだろうし、
会社のお金なら、会社の財務を考えたことがなければ、無限と感じるだろう。

では彼らは、お金を使うのが目的なのだろうか。
それとも、モノを所有することが目的なのだろうか。

新人さんなら、お金を無尽蔵に使いたい、という欲望はあるかもしれない。
今まで、自分のお金しか使うことができなかったから。

でもどちらかと言えば、「モノの所有」が根っこの深い欲望である、と見るのが普通だろう。

つまり、「人のお金」か「自分のお金」かはさほど重要ではないと思われる。

 

さて、では彼らはなぜ、モノを所有したいと思うのか。

これは仮説だが、それは「モノを所有することで、自分が強くなった気になれるから」ではないだろうか。

ぼくの子供のころ、ポケットモンスターが流行った。

このゲームが子供に受けた理由はいろいろあるけれど、
その一要素は「収集」にあると思う。

「収集」することで、自分が強くなったと思える。
その感覚が子供には非常に効いたのだと、ぼくは思っている。

 

ここまでの話をまとめると、

・「モノを所有=収集」することは、「自分の強さを誇示」するための行為である

ということが言える。

 

ではいよいよ、「モノ消費」と「コト消費」について考えよう。

でもこれも、「収集」というキーワードを使えばきれいに理解できるように思う。

・モノであろうとコトであろうと、実は、同じ「収集」であって、自分の強さを誇示する目的に使われているのではないか

こういう仮説が成り立つ。

 

「自分の強さを誇示すること」が主目的で、
そのための手段が「モノ」や「コト」である、ということだ(最近では「トキ」も)。

 

新人さんがなぜ参考書を買い込むのか。

それは、何の実績もなく、不安にさいなまれる今をまぎらわすために、他者に対して、そして自分に対して「自分の強さを誇示するため」である、と考えられる。

 

その手段が「モノ」であろうと、「コト」であろうと、実はそんなに重要ではない。

 

一方、成熟した社会ではモノが均一化するので、価値が薄くなってしまった、という指摘は正しいだろう。
だから、モノ消費からコト消費へ、という標語もある意味では間違っていないと言える。

 

しかし、消費者の欲望、その本質は変わっていないのではないか

これがぼくの仮説である。


「モノ消費」や「コト消費」といった枝葉となる言葉を「したり顔」で言うこと。それを商売にしている人たちがいる。

 

別にそれは否定しないけれど、それに振り回されるだけでなく、自分の頭で考えることはやめずに生きたい。