六本木ツタヤという体験 探検する楽しさ
六本木ツタヤに行く機会があった。欲しい本がAmazonで2倍の価格になっていて、それなら書店で、と思ってWebで在庫を調べまくったところ、かろうじて六本木ツタヤにはあったのだ。
六本木ツタヤは面白い。何が、というとそこで本を探すという体験自体が面白い。
今回は欲しい本がはっきりしていたので、普通の本屋なら目的の棚を探して、棚の中から本を探して、買ってとっとと帰る、という流れになる。
しかし六本木ツタヤでは目的の本はおろか、目的の棚がどこにあるのかがサッパリわからないのだ。
というのも、六本木ツタヤには「店内地図」のようなものが(たぶん)なく、棚にも名前が付いていない。
ビジネスなら「ビジネス」、旅行なら「旅行」など、一般的な本屋は棚に名前が書いてある。しかし、六本木ツタヤにはそれがない。
つまり、棚に入っている本の種類を見て「ああ、このエリアは旅行系だな」とか自分で判別しないといけない。
なんて面倒なんだ…!
と、便利に慣れ切った俗物としては思ってしまった。
しかし一方で、この不便さの中で、徐々に楽しくなっている自分に気づく。
この楽しさは、旅行ではじめての場所に行き、散策していく中でそこがどんな場所かがわかってくる楽しさに似ている。
はじめはどこに何の本が置いてあるかまったくわからない。そこには多少の苦しみがある。
しかし、目の前の棚を見て、棚に入っている本をしっかり見ると、意外とすぐに、だいたいこのエリアは「芸術」だな、「デザイン」だな、とかわかってくる。
はじめはわからなかったものが、探検し、発見することでわかってくる。この体験が楽しいのだ。
ちなみに、この体験はたぶん、本に対する客のスタンスをも変える効果がある。
店内を探検するということは、目の前の棚を見て、考えないといけない。そこに集中が生まれる。その集中は、それぞれの本に対しても向かう。すると、体験自体の密度が上がる。
六本木ツタヤ…、すばらしいな…。
いやあ、自分がいかに頭を使って生きていないかを思い知らされる。
今の世の中はあらゆるものが整理されすぎている。
だから、頭を使う必要が少なくなってくるわけだけれど、それだと自分がロボットになったように思えて、生きていることに楽しみを見いだせなくなる。
六本木ツタヤには、その思考停止を脱するための仕掛けが組まれている。
面白い場所なので、ぜひ行ってみていただきたい。