人と比較してしまう、ということ
人と比較して、自分をちっぽけだと思う。
これは防衛本能だと思う。
自分がちっぽけだと思うことで、自分に言い訳しているわけだ。
「あの人は○○。自分は○○だから仕方がない」と。
この病理は、結局のところ自分に自信がないところからきている。
特に誇れる実績がないだとか、客観的に見れば誇れる実績があるにしても、自分の理想が高すぎて、自分で自分を不当に貶めている。
自信がないから周りと上目遣いで比較する。
自信があれば、周りと比較する必要なんかない。
ではどうすれば自信が得られるか。仮説を立ててみる。
一つは、とにかく追い込まれること。
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」ということで、「何とかなっている環境」だと、人間は絶対に行動しない。このままではマズイと思っていても、ぬくぬくと時間を消費し、自分で自分の首を絞める。
もう一つは、熱中すること。
熱中する、というのは周りが見えないということ。つまり人と比較することがないので、落ち込む余地がない。
たぶん、仕事を「他人事」としてやっていると熱中するものは見つけられない。「自分ならこうする」だとか「自分、こういう商品欲しい」だとか、「こういう商品があったら、あの友達が喜びそうだな」とか。ごく個人的な、狭い範囲を想像しながらやるといいんじゃないか、と思う。
衰退する日本を救いたい、とか、大きくて遠い目標は、イメージできない。「他人事」になる。そうではなくて、「自分事」として半径3メートル以内で仕事をする。
ただ。これは逆説的なのだけれど、
・「自信がない」から、傷つきたくないので「他人事」としてやる
・「他人事」としてやるから、「熱中」できるものが見つけられない
・「熱中」できるものがないから、「自信」がいつまでも得られない
こういう負のスパイラルがあるのではないか。
つまりは、「熱中できること」を見つけるためにも、この円環から飛び出すエネルギーが必要なの……かもしれない。
やはり「追い込まれる」こと。
これしか、人間が動くきっかけはないのかもなあ。