かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

電車の寝息が不快な理由

電車にて。となりに座っている人が、寝た。しばらくすると、スー、スー、という音が聞こえる。まったく聞こえないわけではないが、いびきほどうるさくない。いびきはもちろん不快だ。でもスースー寝息もかなり不快。こう思っているのは、僕だけではないはず。肩を少し当てて起こしてやりたい衝動に駆られる。でもうまく起きても、相手の眠りは想像以上に深い。残念ながら、すぐにまたスースー寝息がはじまる。この無力ゆえの悲しさよ(!)。

 

■「キーが高い音」は不快に感じやすい?

スースー寝息はなんであんなに不快なのだろう?まず、音のボリュームについて考えてみると、これはもちろん、ボリュームがうるさいから不快に感じる、というのは、もっともな原因に思える。

「いびき」はボリュームがでかい。だから不快だ。

もっともらしく聞こえる。しかし、電車の中はそもそも雑音に満ちている。
僕はときおり、スマホの音量がONになっているのに気づかずにゲームをしていることがある。でも、電車の中だとなかなか気づかない。電車が線路を走るガタゴト音がとにかくでかく、その他、電車のきしむ音、人それぞれが動く音、咳の音など。これらが実はかなりうるさいのだと思う。

そう考えると、ボリュームがでかいこと=不快、と考えるのは、一理はあるものの短絡的なように思える。

では、音のキーの高さはどうだろう。話はスースー寝息に戻る。スースー寝息は、ボリュームはいびきほどないが、音のキーは高い。音のキーが高いといえば、安田大サーカスのクロちゃんの声か。

音のキーが高い。だから不快だ。

といってしまうと、クロちゃんの声は不快だということになってしまう。でも実際はそこまで不快に感じている人はいないはずだ。でなければ、テレビに出させてもらえなくなるはずだから。

しかし、アイドルへ向けられる黄色い声と、男たちの野太い歓声を比べてみると、どうも黄色い声の方が耳に付くような気がする。

とすると、キーの高い音の方が、相対的に不快に聞こえやすい、と言えるのかもしれない。しかし、ボリュームのでかさと同様に、キーの高い音=不快、とするのは変じゃないか。

 

■「反復」が注意を引き付け、不快を増幅する

ということで、僕は「反復」が問題なんじゃないか、と思っている。人間は呼吸をするもので、呼吸は反復するもの。当然ながら、スースー寝息も反復する。

反復(リズムといってもいい)は、人間が認識しやすいものらしい。

たとえば音楽。一定のリズムを刻み、反復することで、聞き手はその音楽に乗っていける。参加していける。

詩とか、俳句とかもリズムを刻む。単純な一定リズムではないが、韻を踏むことで話し言葉にしたときに調子よく言える。

お笑いだって、笑いが起こったキーワードを絶妙なタイミングで放り込むことで、新たな笑いを生み出すことがある。これも反復の一種だろう。

反復の効能は、そのリズムを持つ対象に、親近感というか乗っていけるというか、人と対象の距離を縮めるものだと思う。


前置きが長くなってしまったが、スースー寝息も反復するものなので、それに注意が向けられ、そのリズムに乗っていこうとする無意識の作用が生まれるのではないか。

つまり、キーの高い音は不快になりやすい、という性質を持つとして、スースー寝息の持つ反復という性質によって注意が向けられ、より不快に感じやすくなるのではないか。

軽い不快度数が、反復によって増幅されるのではないか、という仮説。