かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

商品の何に対してお金を払うか

今朝がた読んだ本がどうもイマイチ面白くなかった。

「人と会う」ことについての本なのだが、なんだろう。自分の期待したものがほとんど書かれていなかったわけである。

期待したのは、「人と会うための手段」だったり、「ビビらず人に会うために背中を押してくれる内容」だったりした。何しろ私はものすごいビビリだから。

コミュニケーション系の本では、こんな読後感になることがよくある。というかほとんどそうだ。何らかの苦手意識を抱えて、それを解消したいと思って本を買う。だけど、いまいちピンとこない、という一連の流れ。これはこういうことではないか。

「コミュニケーションという千差万別の世界で、一般論を掲示することは非常に難しい。」

コミュニケーションは水物だ。自分、話相手、環境、状況によって、あらゆる場面が考えられる。それらすべてに共通するものは、どうにも掲示しがたい。するとどうなるか。ごくごく個別のエピソードを紹介することになり、広く伝わるものではなくなってしまう。

とかなんとか思ったが、本の批判はいい。

書きたかったのは「人は商品の何に対してお金を払うか」である。

今回の本を買った動機は、先にも書いたが「具体的な手段・技術」や「背中を押してもらえる内容」を得られるかも、と思ったからだった。つまりは「期待」だ。

人は、商品を得たあと、「ちょっとよくなった自分(もしくは環境)」を想像して、それに対してお金を払うのではないか。未来に対する投資とでも言うべきか。

本であれば、技術を知れたり、知識を知れたり、やる気剤になったり。
服であれば、誰かにほめられたり、よくみられたり。
インテリアであれば、おしゃれな空間にいる自分自身を想像したり。

そんな想像があってはじめて、商品というのは存在する。

北島マヤガラスの仮面)も言っていた。

「はじめに気持ちがあって、言葉と動きがある」と。

言葉や動き。本稿では商品のことだが、はじめに商品ありきではない。気持ちありきだ。

だからこそ、商品企画を考えるときも、「気持ち」から考えなければいけない。
でないと、「それっぽいけど、なんかよくわからないね」という形だけの商品になってしまう。