かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

「役に立つ」って何だろう?

哲学の本を読んでいて、その絡みで「哲学は人生の役に立つのか」という本があるらしいことを知った。そういえば「○○は役に立つのか」という言い回しはよくあるものだ。

・哲学は人生の役に立つのか
・文系大学教育は仕事の役に立つのか
キリスト教は役に立つか
・統計って何の役に立つの?

Amazonで検索してみたら、こういう本がたくさん出てくる。興味を引く書名、という意味ではある程度の成果を挙げているように思う。しかし実際のところ、何か意味ありげで、実は何を意味するかわからない。そんなモヤモヤする言い回しの一つのように思う。

そんなときにふと思ったのが、「役に立つ」ことは「人間の欲求」と「必要性」に比例しているのではないか、という仮説。

「役に立つ」=「人間の欲求」を満たし、「必要性」も満たすもの?

「人間の欲求」を満たし、「必要性」も満たしている状態が、「役に立つ」ことなのではないか、と。

例を挙げてみると、例えば人間の三大欲求と言われている食欲、睡眠欲、性欲。

食欲は、欲求が強く、「食べ物」がなければ死んでしまうわけだから必要性も高い。
だから、「食べ物」は役に立つ、と言える。市場にもたくさんの食べ物が売っている。

睡眠欲は、欲求が強いが、「布団」はなくてもなんとかなる。布団の必要性は、食べ物ほどはないと思われる。
だから、「布団」はまあまあ役に立つ。布団はもちろん売っているが、食べ物ほどの物量は売られていない。

性欲は、ここでは生殖欲と言い換える。そして、その欲を満たすものを「服装」や「化粧品」としよう(生殖に関わる欲求=動物が行う求愛ダンス=美しさを競うものとして)。
「服装」や「化粧品」の必要性は食べ物には劣るが、生殖は生物にとってかなりのウエイトを占める重要課題(ほかの動物を見渡せば)なので、必要性は高い。
だから、「服装」や「化粧品」は役に立つ。これらはいくら着飾っても「正解」がないので、市場にあふれている。


というわけで、それなりに筋の通った仮説のように思える。
が、市場性を一緒に考えるとややこしくなるのかもしれない、と書いていて反省…。