かつ消えかつ結ブログ

日々、ポッと浮かんだ考え事を書く遊び場。哲学風味。

合成の壺とインターネット

風来のシレンという神ゲーの中に、合成の壺というアイテムがある。
合成の壺は武器や防具に対して使うもので、例えば複数の武器を中に入れると、それぞれの武器の特徴を受け継いだ一つの強い武器ができるというもの。

今回、何が言いたいのかというと以下の通り。

・人間は合成の壺である
・しかし、インターネットでは武器が得られない

新しいものを考え付くには、「自分の血肉となった知識」=「武器」が必要であって、借り物の知識では話にならない。

風来のシレン的に言えば、人から借りた武器は合成の壺に入れられないようなもの。

でもしかし、インターネットというものが生まれてこのかた、知識は外部化される傾向にあると思う。検索すれば「答え(っぽい何か)」が出てくるのであれば、別に自分で苦労して勉強なんてしなくていい、というか面倒くさいことはやらなくなるのが人間だ。

そうして人間は「自分の血肉となった知識」を失っていく。武器を失い、何もない自分だけが残されていく。そして鬱になったり、他人を攻撃したりし出す。

 

2019年5月に川崎で無差別殺人があったし、自殺率も依然として高い。でもどうだろう。果たしてこれは、どの年代まで当てはまるだろうか?今、事件や自殺をしているのは、まあどうしても年齢が上の人たちが目立つ。

10代、20代の人たちは、生まれたときからインターネットがあった、いわゆるデジタルネイティブ世代。彼らはどんな状況にあるのだろうか。観察してみたい。