キングダム 面白くてためになる、マンガ復権の兆し
昼休み、積読してしまったアエラを読んでいたら、マンガの「キングダム」が面白い切り口で取り上げられていた。
それが何かと言うと、「ビジネスマン需要」だ。
ビジネスマンが、主人公やその他多種多様な人物に「共感」できるということらしい。
例えば、
・秦の始皇帝が掲げる「大義」は、ビジネスの世界で経営者が掲げる「大義」と同じ
・主人公が成長する過程、その時々の課題は、平サラリーマンが部下を持ち、管理職となっていく課題と同じ
などが記事で挙げられていた例だ。
詳しくは、アエラ本誌で参照されたし。AERA dot.でもありました。
「キングダム」が“ビジネスの教科書”として人気のワケ (1/3) 〈AERA〉|AERA dot. (アエラドット)
ここでふと、キングダムは「面白くてためになるマンガ」なんだろう、と思った。
そしてさらに、「面白くてためになるマンガ」なんて最近少なかったかもなあ、と。
誰かが映画について言っていたのだけれど。
映画は過去、人生の教訓を教えてくれるものだった、と。
また、映画作りはお金がかかるから、面白くなきゃだめだった、と。
でもそれが、いつぞや、「面白いもの」と「ためになるもの」に分かれてしまった。
細分化されることによってつまらなくなってしまった、という話。
実はこれはあらゆる分野で当てはまる事柄で。
マンガも多分に漏れず、そうだったのだと思うのです。
ゼロ年代にあふれた、萌え系のマンガはまさにその現象で(異論は認める)。「ためになる」は一切ない。まあ面白いけど2回目は読まないでいいよね、というマンガたち。
それはそれで、つらい現実から自分を守る「逃避先」として機能していたんだと思う。
逃避先だから、「(現実の)ためになる」要素はむしろ含まれていてはいけなかった。
でも、何回も読むマンガじゃないから、飽きるのも早い。すぐに消費される。そして読者は離れていく。
キングダムの連載開始は2006年。ゼロ年代真っ最中だ。
その頃、読者が求めるものは「面白い」もしくは「ためになる」ものだったとすれば、今、このマンガが大ブームになっているのは、「面白くてためになる」が受け入れられるようになってきた、ということを意味しているのかもしれない。
「面白い」と「ためになる」が分離してしまったゼロ年代。
マンガはズバリ、面白くなかった(と思う)。
マンガ復権のための、「面白くてためになる」が受け入れられる土壌が出来つつある。
キングダムの大ブームは、そう、理解したい。