稀勢の里は誰のために相撲を取ったのか
稀勢の里が引退した。
「稀勢の里に対して、もっと考えろ、と言う人がいるが、逆だと思う。稀勢の里は頭がいい。だから考えすぎてしまう。考えすぎると、不安がどんどんあふれていき、体が動かなくなってしまう。」
というようなことを、とあるコメンテーターがテレビで言っていた。
考えすぎて体が動かなくなるのは、やはり頭がいいとは言えないんじゃないか、と思ったりもするが、私自身、考えすぎる性質なので言いたいことはよくわかる。
稀勢の里は考えすぎてしまう人だったと、私も思う。
しかし、周囲がそうさせた、ということも確実にあると思う。
貴乃花に次ぐスピードで新入幕を果たし、将来を嘱望された。時は2004年。貴乃花の引退は2003年で、日本人横綱は不在となった。それから十数年。朝青龍、白鵬の時代が長く続いた(続いている)のはご承知の通り。その間、稀勢の里の方にはますます「日本人横綱」への期待が積み重なっていった。そんな状況が、稀勢の里を苦しめた。
周囲が「稀勢の里が日本人横綱になってくれる」と期待し、稀勢の里はその期待に応えようと頑張ったんじゃないか。でも、それがきっと裏目に出たんだと思う。
これは想像にすぎないが、新入幕の前は、琴奨菊や豊ノ島と、競い合いながら、それが楽しくて相撲を取っていたとしたら。新入幕の後は状況が一変しただろう。
相撲を取る理由が「自分が楽しいから」から「周囲に期待されているから」になったとしたら。自分が「主語」でなくなってしまったとしたら。
取り巻きなんぞ、自分勝手に好きなことを言うものだ。勝っている時は称賛するものの、負けが込んでいるときはボロクソに言う(実際そうだったし、そういうものだろう)。
周囲の期待なんて不確かなものに寄り添ってしまえば、何を信じていいのかわからなくなる。余計なことばかり考えるようになる。そして、身体はどんどん動かなくなる。
稀勢の里が、周囲の期待なんかいざ知らず、自分のために取った相撲はすこぶる強かった。
白鵬の連勝を絶対に止めてやる。
師匠亡きあと、恩に報いるために大関取りを実現させたい。
同じく、横綱取りを実現させたい。
そんな思いで取った相撲は本当にいい相撲だった。
稀勢の里は引退会見で、土俵人生で貫いてきた信念として「絶対逃げない」と答えた。
「(周囲の期待から)絶対逃げない」と言っているのだと思った。いくら手のひらを返されても、それから逃げない、と。痛々しいと思った。
稀勢の里は犠牲者だった、と言って済ますつもりはない。周囲の期待に寄り添うことは、一種の思考停止でもあるから。稀勢の里のその安易な選択には、自身にも責任があると思うから。
それでも「周囲」の一人だった者として、ある種のいじめに加担してしまった者として、自戒を込めて記します。